日刊「WHY」アーカイブス

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2019年11月13日投稿

「なぜ一人相撲という言葉は生まれたのか」★★★

一人で成立しない競技なら全て一人○○に当てはまりそうなのに、なぜ相撲が選ばれたのか気になった。ひとりずもう(一人相撲、独り相撲)は、相手もいないのに自分だけが空回りしていること、また、実りのない物事に必死で取り組むことを意味する。実際にひとりで行う相撲があり、神事として室町時代から行われていたとされる。愛媛県今治市にある大山祇神社では豊作を願う神事として、今でもひとり相撲が行われている。一力山と呼ばれる力士の対戦相手は目に見えない稲の精霊で、決まって3本勝負を行う。勝敗は決まっていて、必ず稲の精霊が2勝1敗で勝つことになっている。稲の神様の機嫌をとり豊作を願う行事である。

 

「なぜ寂しい様子をがらんとしているというのか」★★★★

「がらん」とは「寺院のお堂」のことである。お坊さんは梅雨の時期など雨露をしのぐ時以外は外で修行をしていた。そのため、伽藍にはほとんど人がいなかった。人の気配がない伽藍は広々として寂しい場所であり、お堂を意味する伽藍に由来して「がらんとしている」という表現が生まれた。また、建物の中に人や物がない閑散とした状況を「がらんどう」とも表現する。これは漢字では「伽藍堂」と書き、「がらん」(伽藍)と同じように寺院のお堂に由来する言葉である。

 

コメント:ひとり相撲してんじゃねーよって言われた時は「見えない稲の精霊と戦っているんです」と返せば「ほう、こいつはなかなか学のあるやつだな」と相手に一目置かれる存在になれるかもしれないし頭のおかしいやつ扱いされるかもしれない。