日刊「WHY」アーカイブス

ボンゴレさんがTwitterで垂れ流してきた日刊「WHY」のアーカイブサイト。現在、毎日半月分を目安に更新中!

2019年9月12日投稿

「なぜいろは坂は2つあるのか」★★★★★

奈良時代の782年に勝道上人らにより男体山が開山され、古くから山岳信仰の聖地であった。いろは坂はその頃に開拓されたのが起源とされる。明治から昭和時代初期にかけて、各国の大使館が中禅寺湖畔に避暑地として別荘を相次いで建設することになる。大正時代になると、人の往来が激しくなったためそれまでの道路が整備され、今の第一いろは坂の元となった道ができた。太平洋戦争が終わり復興の兆しがみえはじめた頃の1952年になって、いろは坂区間である延長6.5kmの道路改良事業に莫大な資金が注ぎ込まれることとなり、1954年に完成した。いろは坂の供用開始によって、多くの観光客が奥日光を訪れるようになったが、自動車交通量や観光客数は増加し続け、慢性的な交通渋滞が発生するようになった。この状況を受けて第二いろは坂の建設が日本道路公団によってすすめられ、1965年に完成させた。

 

「なぜいろは坂は一方通行なのか」★★★★

1965年に、それまでのいろは坂を「第一いろは坂」と称して登りと下りが完全分離された一方通行の道路として完成した。2018年から更なる混雑緩和を目指しいろは坂終盤にある対面車線の道路も完全に一方通行化することを実験しており2019年10月から施行される。

 

コメント:1965年以前は一方通行じゃなかったとかマジ!?渋滞地獄でしょそんなの。当時は今ほどの交通量なかったのかな?でもこの時期って交通戦争の真っ盛りだし当時の交通量もエグそう。